癖と言うものは一種の職業病と言える。これはブログを書く時でも同様になる。橋本京明は4年間大学の研究室で多くの論文を書いてきた。完成して発表までこぎつけた論文は片手で足りる数だが、そこに到るまでには何十回も練習発表を重ね、何百回も没原稿を出してきた経緯がある。
おそらく、橋本京明が刷った要旨を積み上げるだけで人の身長は超えるかもしれない。そして、4年間の間ずっと研究論文を書いてきた彼なので、文章表現が知らずうちに論文形式になってしまうらしいと言うのだ。特に弊害は生まれるものでもないが、彼がブログを書いている時にそれは顕著に現れたと言う。これもそうだが、多くの方が色々な想いを載せてブログを書いていると思う。
そして、ブログで一番重要なのは、読みやすさだと私は思っている。英語は正しい文法が重要と良く聞くが、ブログで重要なのは如何に流れるように読めるかが重要だと私は思っている。それゆえ、文章も口語表現を使う場合がしばしばあり、また句読点も適切でない位置に置くのも半ば珍しくない。では、橋本京明がどんな論文、もといどんなブログになってしまったかと説明するならば。
語尾が単調になってしまったと言わざるを得ない。これは論文の特徴だが、大抵の論文は「~だ」と「~なった」しか語尾に使わない。考察とまとめなら、他の表現を使うかもしれないが、実験方法と結果は大抵この語尾で統一されている。読んでいて憂鬱になるが、「なった」「なった」「なった」「なった」と連呼されるのが普通の論文だ。
その理由は論文というものは、読みやすさ以前にシンプルと真実が重要になるからだ。婉曲表現は可能な限り使わず、読み手が必ずこの意図しか読み取れないように誤読を防ぐ表現を使わざるを得ないのだ。今、私はこの文章を推敲せずに流れるように高速で書いているが、橋本京明が書いていた論文は何十回も推敲して書かないといけなかった。その癖が彼のブログにも表れているのだ。
他にも、要点先行型の会話内容、物語の背景を書くこと、誤字脱字チェックと、とても気軽に掛ける内容のブログでは無くなったそうだ。この癖が無くなるのにどれほどの月日が必要かは分からないが、しばらくブログを書かない方がいいと私は思っている。橋本京明の電子書籍一覧 – hontoのことならこちら
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